演習4
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小テスト4
演習3
【Aさん】
私は代理出産には反対である。たしかにすべての個人には、「自己決定権」があり、自己の幸福を追求する権利のために代理出産によって子をもつことも認めるべきなのかもしれない。特に代理母が強制されていなければ、依頼者と代理母の両者の「自己決定権」を尊重して、代理出産は認められるべきのようにも思われる。
だが、代理出産に関わる人は依頼者と代理母の2者だけではない。代理出産でうまれた子どもも当然、当事者であるのだ。決して、モノではない。中絶の問題を含めても、赤ちゃんをどの段階からヒトとして扱うかなどの問題は議論を呼ぶが、私は受精した段階からヒトになると個人的には考えている。 もちろん、その段階で自己決定を行うことはできないが、だからといって、他人の「自己決定権」のために好きに扱うことは良いことなのだろうか。
私は良いと思わない。生後も、愛情や契約など様々な要因によって、意思表示のできない生命を奪い合うことになる危険性がある。
赤ちゃんをめぐる問題を契約によって、法律によって解決する場合、それは赤ちゃんをモノのように扱っているように感じるので反対であるし、赤ちゃんの健康状態によって契約内容が異なるということはあってはならない。多少なりとも、代理出産の契約には、赤ちゃんという存在に価値をつけることになる。それは人身売買と変わらないと思う。
たとえ、契約をともなわないとしても、代理母にはかりしれない危険性がともなう。そして、もし経済苦が理由なのであれば、一見、自己決定であるように見えても、社会が危険の伴う代理母になることを無自覚であろうと、追い込んでしまう。
もし、経済苦の女性の自己決定の先に代理出産があるのならば、社会が別の方法で、貧困を救う手だてを施すべきだ。
AIのコメント
難点
1.自己決定権の適用範囲が狭い:
「自己決定権」について言及しているが、それが具体的にどのように適用されるべきかが明確ではない。特に、代理母の自己決定権が軽視されているように感じられる。
依頼者の自己決定権もあるが、代理母や生まれてくる子供の権利についての議論が浅い。
2.子供の権利に対する視点が偏っている:
子供が「自己決定権」を持つことができないことを理由に、他者の決定権がその子供の存在を左右することが不適切であると述べているが、具体的な例や実際の問題点が提示されていない。
代理出産が子供にどのような影響を与えるかについての詳細な説明が不足している。
3.経済的要因に関する視点が一面的:
経済的理由で代理母になることが社会の問題とされているが、代理出産が経済的に困窮している女性にどのような選択肢を提供しているのかについての議論が不足している。
社会的サポートの具体的な代替案や、その効果についての考察が欠けている。
説明不足
1.代理出産の法的枠組みと実態:
代理出産に関する具体的な法的枠組みや現実の事例についての情報が不足している。どのような法的規制や保護があるのかを示すことで、より説得力のある議論が可能になる。
具体的な国や地域の事例を挙げることで、議論の実効性が増す。
2.子供の福祉に関する具体例:
代理出産によって生まれた子供が実際にどのような問題に直面しているのか、具体的な事例や研究結果を示すことで、議論に深みが増す。
子供の権利と福祉についての国際的な基準や見解を引用することで、議論の客観性が向上する。
3.代替案の具体性:
経済的苦境にある女性を支援するための具体的な政策やプログラムについて言及することで、単に反対するだけでなく、建設的な提案を示すことができる。
代理出産の代替手段やその利点についても触れると、議論のバランスが取れる。
4.代理母のリスクに関する具体例:
代理母が直面する具体的な健康リスクや心理的な負担についての情報が不足している。医学的なデータや専門家の意見を引用すると、議論に説得力が加わる。
人間/講師のコメント
まずAIの指摘は過剰要求な点があるので、既読スルーの構えでOKです。特に説明不足の指摘は多岐に渡り、字数制限に収まらないと思われます。どこを深めるべきか焦点を絞って、修正するようにしましょう。ただ、こうしたAIの反応をもたらしたのは、自身の答案が散漫だったからかも...と考えて<選択と集中>を意識しましょう。
これを含めて、難点1と2の指摘は参考になります。誰の自己決定権が課題なのか?が不明確です。「軽視している」とされた代理母の自己決定権に焦点を絞り、代理出産に反対する最大の理由とすれば、もっと論旨が明確になったのでは?代理出産に限らず、出題テーマには無数の切り口/論点があります。それを整理統合する習慣を身につけてください。ちなみに、ここでいう整理とは捨てることです。
【Bさん】
女性の高学歴化や社会進出による晩婚の増加や、生活環境の変化により、子どもを持ちたくても持てないカップルは現在増えており、そのようなカップルにとって代理出産は子どもを持つための選択肢の一つになるだろう。私は法律の制定などを進めた上でなら、代理出産に賛成する。しかし、そこにはいくつかの障壁もある。
まず、私が代理出産に賛成する理由は、どうしても子どもが欲しいが自らは体質などの理由で妊娠・出産ができない人々の幸福追求権や希望を、尊重するべきだと考えているからである。また、少子化が進む日本において、子どもを持ちたいと思っているカップルが減少していることも挙げられる。しかし、権利を有するのは親だけではない。子ども、そして赤ちゃんも権利が認められる主体であり、カップルの幸福追求のための道具ではない。産まれてくる子どもの権利や、自らが代理出産で生まれたことなどを「知る権利」もまた、尊重しなくてはならない。そのための法整備は代理出産のための必要条件だ。別の問題点として、 代理出産の「母親」の扱いをどうするべきか、という問題がある。代理出産というシステム上、夫の妻である女性が「母親」となるのが真っ当と考えられるかもしれないが、妊娠・出産という大きな 困難を乗り越えた代理「母」にとっても産まれた子どもは、たとえ遺伝的つながりがなかったとしても、強い愛情や母性を抱くのは当然だろう。命をかけて子どもを産んだ代理母に子どもを愛する権利を認めないのは酷だ。これらの母親をめぐった問題を避けるためには、事前の契約の義務化や、代理母に対して、離婚した夫婦の間の子供と親権を有さない親が面会をするときのように、子どもに会う権利も認めること(もちろん、このときも子どもの権利も尊重する必要がある)が必要だと考える。
代理出産はカップルの選択肢として存在しても良いが、そこに発生しうる問題の考慮は避けられないだろう。
AIのコメント
難点
1.権利のバランスの取り方が不明確:
「カップルの幸福追求権」を強調する一方で、「子どもの権利」や「代理母の権利」についても言及しているが、これらの権利のバランスをどう取るかが具体的に示されていない。特に、どの権利が優先されるべきかについての明確な立場がない。
2.「知る権利」の具体性が不足:
子どもが自分が代理出産で生まれたことを知る権利について言及しているが、その具体的な内容や実現方法についての説明が不足している。「知る権利」がどのように保障されるべきか、具体的な法的枠組みや手続きについての考察が必要。
3.代理母の「愛情や母性」に対する認識が不明確:
代理母が子どもに強い愛情や母性を抱く可能性について述べているが、その愛情や母性をどのように法的に扱うかについての具体的な提案が不明確。代理母が子どもに会う権利を認めることが提案されているが、これがどのように実施されるべきか、具体的な制度設計が不足している。
説明不足
1.法整備の具体的内容の欠如:
代理出産に関する法整備の必要性について言及しているが、具体的にどのような法律が必要であるか、どのような規制が求められるかについての詳細な説明が欠けている。
法整備が進む上で考慮すべき具体的な課題やステップについても触れるべきである。
2.代理出産の具体的なリスクや問題点の言及不足:
代理出産に伴う具体的なリスクや問題点についての言及が不足している。例えば、代理母の健康リスク、心理的な影響、子どもの法的地位などについて具体的な事例やデータを示すと説得力が増す。
3.経済的要因の考察不足:
代理出産が経済的に困窮している女性にとってどのような影響を与えるかについての考察が不足している。経済的理由で代理母になることが強制的になってしまう可能性についての詳細な議論が必要。
経済的支援や社会的サポートの具体的な対策についても触れるべきである。
4.国際的な視点の欠如:
代理出産に関する国際的な事例や基準についての言及が不足している。他国の法整備や実施例を参考にすることで、より具体的な提案や議論が可能となる。
国際的な視点を取り入れることで、代理出産の問題がグローバルな文脈でも理解されるようになる。
人間/講師のコメント
2段落の記述が冗長です。それは、思いつきを連ねているからです。確かに冒頭は賛成の理由を説明していますが、途中の「赤ちゃんの権利」あたりから、話がどんどん拡散していきました。AIは与えられた情報の影響を受けやすいので、冗長で散漫な記述に対応してAIのコメントも散漫になったと思われます。
1段落を再読してください。そして、これを読んで、何と何を説明すべきだったのか本来の筋道を再考してみましょう。2段落の冒頭にあげた賛成という判断の理由は不可欠です。次に鍵になるのは、1段落の「法律の制定などを進めた上で」という記述です。いうわば条件付きの賛成なのですが、その理由は代理出産には多くの課題があるからですよね。それらをあげて代理出産の課題を明らかにして、法律の必要性や内容に進んでいくのがスジでした。
【Cさん】
私は課題文を読んで、日本の場合でも生殖技術を利用した代理出産に関して何らかの法による規制が必要だと考えた。なぜなら、実際は代理出産をたのまなくても妊娠、出産できるような人までもが代理出産によって子供を持つ場合が出てくると思ったからだ。
現在日本でも女性の社会進出が訴えられ、昔と比べるといくらか女性が働きやすい環境になったかもしれない。しかし、まだまだ日本は男性優位の構造が残っており女性にとって一番大変なのは恐らく出産だろう。もちろん出産の瞬間も大変であるが、妊娠に伴って休職をする、さらには仕事を辞めることもある。また、職場に復帰できても今まで通りには上手くいかないだろう。このような様々な問題から子供は欲しいが仕事は今まで通り続けていきたいと考える女性が増えているはずだ。そんな人が代理出産のことを知れば法による規制がないので、利用したいと思う人も出てくると考えられる。これは自己決定権の観点からすれば尊重されてもおかしくないように思える。しかしながら、産まれてくる子供のことを考えるとどうだろうか。親が自分勝手な理由で他人に頼んだことで自分が産まれたのだ、と考え、深く傷つくかもしれない。また、親も自分自身で産まなかったことで、本来は子供に対して抱いたであろう強い愛情が失われているかもしれない。そんな親の下で育った子供は健全な成長をしているとは言えない。このような代理出産により生じる色々な問題を無くすために女性は、自分では子供を産めないという診断書を必須にしたり代理母は、出産した子供を必ず依頼主に引き渡すことを義務にしたりする規制が確実に必要だと私は考える。また新しい技術について生じる問題ゆえに次々に想定外の問題が起こると考えられるので、そのたび直ちに慎重な話し合いをし柔軟に法を改正していく姿勢も必要だと考える。
AIのコメント
難点
1.根拠の曖昧さ:
代理出産を規制すべき理由として「実際は代理出産を頼まなくても妊娠・出産できる人」が代理出産を利用する可能性を挙げているが、その具体的な根拠やデータが示されていない。
出産が「女性にとって一番大変」としているが、具体的なデータや事例が欠けており、主観的な意見にとどまっている。
2.偏った視点:
文章全体が、代理出産を利用する女性を「自己中心的」と見なす視点に偏っている。代理出産を選ぶ理由は多様であり、それを一面的に捉えるのは不適切。
親が代理出産を利用したことで子供が傷つく可能性を述べているが、それを裏付ける具体的な事例や研究結果が示されていない。
3.親の愛情に関する認識の偏り:
親が自分で産まなかったことで子供への愛情が失われるという主張があるが、これも具体的な根拠やデータが不足している。愛情の強さは出産方法に必ずしも依存しない。
説明不足
1.代理出産に関する法的枠組み:
代理出産を規制するためにどのような法律が必要かについての具体的な提案が不足している。診断書の必須化や子供の引き渡し義務について言及しているが、それ以外の具体的な法的手続きや必要な規制についての詳細な議論が欠けている。
2.代理出産のリスクや問題点:
代理出産に伴う具体的なリスクや問題点についての説明が不足している。代理母の健康リスク、心理的な影響、子供の法的地位などについての具体的な事例やデータが示されていない。
新しい技術に伴う問題が次々に発生する可能性を述べているが、その具体的な内容や対策についての詳細な考察が不足している。
3.国際的な視点の欠如:
代理出産に関する国際的な事例や基準についての言及が不足している。他国の法整備や実施例を参考にすることで、より具体的な提案や議論が可能となる。
4.代理母の視点:
代理母の権利や視点がほとんど考慮されていない。代理母がどのような状況で代理出産を引き受けるのか、どのような保護が必要かについての議論が欠けている。
5.具体的な代替案の提示:
代理出産以外の選択肢や支援策についての具体的な提案が不足している。例えば、女性が出産後に職場復帰しやすい環境を整えるための政策や支援策についての考察があれば、よりバランスの取れた議論になる。
人間/講師のコメント
冒頭であげた「何らかの法による規制」が主張の基本ですよね。ならば、説明の主要な論点は以下のようになります。
①代理出産に賛成する理由
②代理出産の課題
③課題解決のための方の役割・内容
このような論理(順序)が未整理なまま、次々記述を連ねた結果、AIのコメントも混乱したように思えます。それは何点も説明も記述が多岐に渡り、深みがないことです。他でも指摘したしたが、答案が散漫だとAIも散漫になる傾向があります。何をどのように論じるのか、ロジックツリーを思い出しながら論理/順序を定める習慣を身につけてください。
小テスト3
※コメントを生成、作成中
7.医学部医学科の求める学生
※問3のみ
【Aさん】
この「グッド」というのは、「良い」という意味以外にも、十分な、熟練したという意味を含んでいるのではないだろうか。十分な知識を持っている奇人、また、知識を使うのに熟練した奇人という意味にもとることができる。
医師は人の命を扱う職業である。そのため知識を十分に持っていなければならない。そして、その知識を用いて多様な病気や怪我を持つ患者に対応しなければならない。そのため、持っている知識を様々な状況で応用できるということが必要であり、そのような人材が求められる。しかし、十分な知識を持たない、基本的な処置を行うことができないにも関わらず、奇人になっても、人の命を危険にさらすだけである。そのため、知識を十分に蓄え、基本的な処置を十分に行うことができるようになってから必要なものであるから、学生にまず求められるのは知識を蓄え、基本に忠実に行うことだろう。
【Bさん】
私はグッド・エキセントリシティは医療現場に必要であると思う。ここで言うグッドとは良識あるという意味だ。医師として患者に接するに値するだけの知識と経験を土台として確実に持った上で、自分の常識に縛られない人物、それこそがグッド・エキセントリシティだ。良識ある、の定義は医療においては患者を安心させることができるということだと私は思う。独り善がりの医療だけはさけなければならないし、そうなってしまう医師には良識がないのだ。患者を安心させることができる知識と経験、技術に裏打ちされてこそ、医者のプロフェッショナルとしてのセンスが威力をもつ。そうしたセンスが柔軟性を持ちうるものであり、そのセンスを持つ人をグッド・エキセントリシティと言うならば、その人材は医療に必要であると言えるだろう。
8.「さわる」と「ふれる」
【Aさん】
医療の現場において、医師がまずするまずするべきことは患者の症状のけがの状態の確認、客観的な理解である。これは患者との相互性のうまれない「さわる」という行為だと考えられる。そして同時に必要なことは、患者との感情の共有、患者の不安や苦しみを聞き、 受けとめることで、これは相互性のある「ふれる」という行為だ。この「さわる」と「ふれる」を繰り返すことで肉体的にも精神的にも、患者を回復させることができる。
言葉で書くと簡単に思えるプロセスだが実際には難しい。特に「ふれる」は大変である。「さわる」は相互的でない、一方的な行動であるため、相手のことを考える必要が少ないのに対し、「ふれる」は相互的であり、相手との関係値が大きく影響してくる。加えて医師と患者という関係の場合、関係値が0のところから始まるためなおさら、医師の「ふれる」技量が必要になる。
患者によっては、人に対して心を閉ざしてしまっていて、中々本心を人に見せない、という人もいるだろう。患者に「ふれる」ためにはそのような人に対しても根気よくチャレンジしていかないといけない。何度拒絶されてもぶつかり続ける根性のようなものが必要なのだ。それをなす精神力を手に入れるのと養うのには、かなりの時間と手間を要する。「さわる」と「ふれる」を完璧に両立できる医師は、超一流の医師であり、それになるのは非常に難しいことなのである。
AIのコメント
1.用語の定義の明確化:
「さわる」と「ふれる」という用語が具体的に何を指すのか、もう少し明確に説明する必要があります。特に、「さわる」が「一方的な関わり」、「ふれる」が「相互的な関わり」という説明は少し抽象的です。具体例を挙げることで、読者により明確なイメージを提供できます。
2.繰り返し表現の修正:
「医師がまずするまずするべきことは…」という文章は、「まず」が二回繰り返されています。これは単なる誤植かもしれませんが、文章全体の信頼性を損なう可能性があります。
3.具体例の追加:
「さわる」や「ふれる」の具体的な実例を挙げることで、読者がこれらの概念をより理解しやすくなります。例えば、「さわる」には診察や検査が含まれ、「ふれる」にはカウンセリングや患者の話を聞くことが含まれる、といった具体例を示すと良いでしょう。
4.相互作用の強調:
「さわる」は一方的な行動であるとしていますが、実際には患者の反応や表情を観察することで得られる情報も多いです。この点を考慮し、完全に一方的なものとは言い切れないことを示すべきです。
5.医師の役割の多様性:
文章では、医師が「さわる」と「ふれる」を両立することの難しさを強調していますが、医療チーム全体の役割も考慮すべきです。看護師やカウンセラー、ソーシャルワーカーなど、他の医療従事者も「ふれる」役割を担うことができるため、医師一人にこれを求める必要はないかもしれません。
6.患者の多様性の考慮:
患者によっては心を閉ざすことがあると述べていますが、これも一般論としては正しいですが、具体的にどのように対応するのか、具体的な方法やアプローチについても触れると説得力が増します。
7.心理的サポートの重要性の強調:
「ふれる」ことの重要性を強調していますが、それが患者の治療や回復にどう具体的に寄与するのか、もう少し詳細に説明することで、読者に納得感を与えることができます。
文章全体としては、医療における「さわる」と「ふれる」の両方の重要性を認識し、両者をバランスよく実践することの難しさを指摘しています。ただし、具体的な事例や詳細な説明が不足しているため、全体的な説得力が弱くなっています。もう少し具体的な情報や事例を盛り込むことで、文章の説得力と理解しやすさを向上させることができるでしょう。
人間/講師のコメント
AIには課題文の全文を与えておらず、主旨を示しただけなのでコメント1はその影響が出ています。ただ、課題文のキーワードは1次情報だけでなく、2次情報も説明した方が良いという一般的な助言は大切です。なお、この課題文も二つの言葉について2次情報と言えるような記述を欠いています。その場合は自分で解釈・補足するようにしてください。
AIは感じ取れていませんが、この答案の良いところは最後の段落の記述です。「根性」という言葉に象徴されるような解答者の構えを明示した点が良いところです。二つの言葉の使い分けるだけでなく、両者に共通する言葉を探し出し、明示すると論述の軸が明確になり、全体が締まります。
【Bさん】
医療における「さわる」、「ふれる」という二つの行動の違う所として、 診察中であるか、あるいは診察後の治療方針を決めるまでの過程であるかによりその使い分けがあると私は考える。
まず、診察中行うのが「さわる」だ。医療においてはこの場合、触診に該当するだろう。医師はこの場合には患者の体調を知るという目的を持って診察にあたる。 医師にとってはこのとき患者はいわば一つの観察対象にすぎず、人間的かかわりを持たない。ここで「ふれる」をした場合どうだろうか。医師は診察以外のことも考えて患者を扱うわけである。患者は明らかに不快な思いをするだろう。それゆえ、診察中に求められるのは「ふれる」ではなく「さわる」なのだ。
次に診察後の治療方針を決めるまでの過程について考えてみる。治療方針決定に求められるのは患者の置かれた状況、患者の意志を把握することが優先される。患者のことを考慮せず、医師が一方的に患者を扱う、言い換えると、「さわる」ことは患者の自己決定権を奪っている。やはり、この場合求められるのは患者の状況、意志、感情に「ふれる」ということなのだ。
「さわる」と「ふれる」を使い分けることは患者が安心して医療を受けられることにつながる。医療において、この二つは言葉で使い分けができるだけでなく、行動においても使い分けができなければならないのだ。
AIのコメント
1.説明の明確化:
文章の冒頭で「さわる」は診察中に、「ふれる」は治療方針を決める過程で使われると述べていますが、これらの説明が具体的すぎず、抽象的です。どのような具体的な行動やコミュニケーションがそれぞれに当てはまるのか、具体例を挙げるとより理解しやすくなります。
2.患者中心の視点:
文章が医師の視点で書かれており、患者の感情や意志を十分に考慮しているようには感じられません。医師がどうすべきかではなく、患者がどのような関わりを望んでいるか、患者がどのように感じるかを強調することが重要です。
3.文体と論理の整合性:
文章の論理展開が時折不明瞭であり、特に「さわる」が「ふれる」ではないと主張する部分での説明が不足しています。なぜ診察中は「さわる」が優先されるのか、それに対する具体的な理由や例示が欠けています。
4.倫理的な側面の考慮:
医師が患者の「さわる」や「ふれる」を適切に行うためには、倫理的な観点からの考慮も必要です。特に、患者の自己決定権を尊重するという観点からの論理的な議論が欠けているように感じます。
5.結論の強調:
結論部分があまり強調されておらず、どのように「さわる」と「ふれる」の使い分けが患者の安心につながるのか、もう少し明確に説明する必要があります。
改善するためには、具体的な医療シナリオを挙げて、「さわる」と「ふれる」がそれぞれどのように適用されるかを示すことが助けになります。また、患者の視点や倫理的な観点を強調し、患者の心理的安全性と自己決定権の重要性についても触れることが重要です。これにより、よりバランスの取れた論文となり、読者に深い印象を与えることができるでしょう。
演習2
※コメント作業中
【Aさん】
特定の「文化」のような多義的なものについて評するとき、それを誰がどのように行うべきかという判断を自身の価値基準によって行っている。「眼球を意識する」とはこのことについて自覚的になるということである。
私達は何かについて評したり、語ったりするとき、自分自身の価値基準によりその事柄を判断する。このとき、「何を語って何を語らないか」についてのフィルターをかけて、判断をする。このフィルターをかけるための理由はいくつかあるだろうが、その一つとして考えられるのは「当事者性への配慮」であると私は考えている。つまりは「ある文化とか状態のもとに居ない人が、その状態下にある人やものについて語ることは失礼であるからやめよう」という考えのもとに自己検閲が行われるのである。このような自己検閲は社会規範としてなされるものでもあるが、文化人類学者や医師などの専門家は、一定の条件下においてこれを免除される。このことについて、専門家は自覚的でなくてはならないと思う。
医師や医学者を例にしてその理由を説明する。医学は理系の分野に分類されるが、人の体を対象にして探究される科学であるから、その研究には人体への侵襲を伴う。科学的な知的探究とともに人への配慮を要するところが他の科学とは異なる。このような物理的な侵襲に配慮しつつ発展をとげてきた一方で、人の心理の負荷への配慮について無自覚である場合が多い。同意なく体を研究材料のように扱われたり、単なる物のような扱いをうけてトラウマを負ってしまう患者の例もある。私は、心理的な負荷を減らすことが、体への侵襲を減ずることと同様に配慮されるべきだと思う。このことは、あるものについて語ることと同じようなアウトプットの形態として、ある行為を行うための自身の文化の相対性を理解することが、専門家にとって必要であると考えている。
AIのコメント
難点
1.構成の不明確さ:
導入部から具体例に至るまでの論理的な流れがやや不明確です。導入部で「眼球を意識する」ことの重要性に触れていますが、具体例の医師や医学者の話に移る際のつながりが薄いです。
2.専門家の例が限定的:
医師や医学者に絞った例示は、読者にとって限定的に感じられる可能性があります。他の専門家(例えば文化人類学者など)についても具体的な例を挙げると、議論の幅が広がり、説得力が増します。
3.自己検閲の説明不足:
自己検閲が「当事者性への配慮」に基づくという主張は理解できるものの、それが社会規範としての側面とどう関連しているのか、さらに詳しく説明すると良いでしょう。
説明不足
1.「眼球を意識する」の定義の明確化:
最初に「眼球を意識する」とは何かを明確に定義する必要があります。これが読者にとって論文全体を理解する助けになります。
2.専門家の免除の理由と条件:
専門家が「一定の条件下において免除される」とありますが、その具体的な条件や理由についての説明が不足しています。何をもって免除とするのか、具体的な事例を示すと良いでしょう。
3.心理的な負荷への配慮の具体例:
医学の分野における心理的な負荷への配慮についての具体的な事例を示すことで、議論に具体性と説得力を持たせることができます。
【Bさん】
眼球を意識するということの意味は、物を見る時に見られる対象の中身などに意識を向けるのではなく、自分の目がそれをどのようなものとみなし、どう見ているのかという前提に意識を向けるということである。
正直、ほとんどの人が「眼球を意識」したことなどないと思う。私自身も課題文を読むまでこのような考え方をした事がなかったので、これに対する自分の考えを述べるというのは難しい事だが、筆者やベネディクトがこのことを通して何を伝えたいのか、私なりに解釈してみようと思う。
筆者が例として挙げている文化は、昔から多くの人に共有される考えやしきたりのようなもので、物理的な変化は時代を超えてもほとんど無いはずである。しかし、現代それが古びてしまったのは、私達が文化をどう見るのかが変わったからではないか。すなわち私達が物事をどう捉え、どうみなすのかによって簡単に変化しうるということである。しかし、私達の物の捉え方や考え方はその時の社会意識や周辺の状況、環境によっても変化してしまうと私は考える。だからこそ、自ら自分がどう物事を捉えているのかに注目する、つまり「眼球を意識する」ということが難しい事で、物事の前に当たり前にあるはずの前提は無視されていき、本来の意味が失われ変化してしまうのだろう。
では、これから1人1人が「眼球を意識」したとして、どのような効果があるのか。筆者が述べるように見落としている前提や、気づかない内に無視している事に気づけるのであれば、例えば文化は本来の意味や捉えられ方を取り戻し、もっと生き生きとしたものになるのかもしれない。実際のところは分からないが、物をただ対象物として見ているよりは、自分は何をどう捉えているのか客観的に考えていく方が物事の本質や前提は失われずに済むのかもしれないと思う。
AIのコメント
難点
1.論旨の曖昧さ:
全体的に、筆者が何を伝えたいのかが明確ではありません。テーマである「眼球を意識すること」が文化の捉え方とどのように関連するのかが曖昧です。
2.主観的な表現が多い:
「正直、ほとんどの人が…」や「実際のところは分からないが…」といった主観的な表現が多く、論理的な議論としての一貫性に欠けています。
3.具体例の不足:
文化の変化や「眼球を意識すること」の具体的な例が不足しています。具体例がないために、読者が筆者の主張を理解しにくくなっています。
説明不足
1.「眼球を意識すること」の具体的な説明:
「眼球を意識すること」が何を意味するのか、具体的な行動や考え方についての説明が不足しています。もう少し具体的に、どういう行為や思考を指すのかを示す必要があります。
2.文化の変化のメカニズム:
「私達が文化をどう見るのかが変わったから…」という部分が曖昧です。具体的に、どのような変化が起きたのか、そのメカニズムについて説明する必要があります。
3.「眼球を意識すること」の効果の説明:
「眼球を意識すること」によって得られる効果についての説明が不足しています。具体的な効果やその実例を示すことで、説得力が増します。
【Cさん】
文章中で言及されている眼球を意識することとは、普段当たり前のように行使している自分の感覚に注意を向けてみることである。このことにより自分の思いもよらなかった無意識的な見落としに気がつくことができる。
しかし、私たちは普段の生活で「眼球を意識する」ことに注意を向ける必要があるのだろうか。
私は、「見られる対象」が人であるかどうかで眼球を意識する必要性が変わると考える。人ではない場合、つまり、身の周りの物や町なみ、学問などにおいては自分の認識に疑問を投げかけることで生まれる新発見が往々にしてある。これらに関して、私たちは眼球を意識することで生活を豊かにできる。
では人の場合はどうであるか。私は、関わりの少ない人を対象とするほど無意識に眼球を意識するようになり、よく知っている人、親しい人ほど眼球への意識が弱くなると考える。例えば、初めて知りあった人と会話をする時、差し支えない、何気ない話題から始めるのがマナーだと感じる人が多いのではないか。質問をする時も、相手に失礼がないかと様々な可能性を考えて、一番安全な質問を選ぶだろう。よく知らない人に対して私たちは必要以上に慎重になり、自分の眼球に目が行くようになる。しかしこれが親しい人の場合、心を開いて関われば関わるほど自分の眼球に疑念を持つことが難しくなる。さらに、ここで眼球を意識し始めたとしても今まで通り相手と接することが困難にもなり得る。
普段の生活の中で人と接する時、私たちは眼球に意識する必要はないのではないか。親しい人と関わる時は、相手を自分の思うように捉え対象のみを見つめればよい。些細な誤解が生じたとしても、人との密な関わりで乗り越えるのが人間らしさというものだろう。1人でいる時、すなわち、人以外を対象とするときに私たちの生活を彩るツールとして眼球への意識があると考える。
AIのコメント
難点
1.論旨の一貫性の欠如:
文章全体で「眼球を意識すること」の意義や必要性についての一貫した主張が不足しています。特に、人と接する時と人以外を対象にする時の区別が曖昧で、なぜこの区別が重要なのかが明確に伝わりません。
2.主張の矛盾:
「親しい人と関わる時は、相手を自分の思うように捉え対象のみを見つめればよい」という主張は、「眼球を意識すること」が不要であるとしていますが、それがなぜ「人間らしさ」につながるのかが不明確です。逆に、親しい人ほど「眼球を意識する」ことが重要であると考えられる場面もあります。
3.具体例の不十分さ:
「眼球を意識すること」が生活を豊かにする具体例が不足しています。特に、学問や町並みなどにおいて新発見があるという主張を具体的に説明する事例が欲しいところです。
説明不足
1.「眼球を意識すること」の定義の明確化:
「眼球を意識すること」とは具体的にどういう行為を指すのかが明確に定義されていません。具体的な行動や思考プロセスについて説明する必要があります。
2.人との関わりにおける「眼球を意識すること」の重要性:
親しい人と接する時に「眼球を意識すること」が不要とする理由についての説明が不十分です。なぜ親しい人とは「眼球を意識すること」が逆効果になるのか、もっと具体的に説明する必要があります。
3.論の展開と結論の明確化:
最後の段落での結論が曖昧です。「人以外を対象とするときに私たちの生活を彩るツールとして眼球への意識がある」という主張をもっと明確に、具体的に述べるべきです。
AIが3人の答案を読み、総評・概評を勝手に生成しました😱
「眼球を意識すること」とは、自らの視線や視点を対象化し、相対化することを意味します。物を見る際、対象そのものに意識を向けるのではなく、自分がそれをどう見ているのか、自分の視点の前提に目を向けることです。この視点の転換は、文化や物事の捉え方に対する理解を深めるために重要です。
日常生活の中で、私たちは「眼球を意識する」ことをあまり意識しませんが、この考え方を通じて、私たちが普段見落としている前提や無意識に無視している事実に気づくことができます。例えば、ある文化が古びたものと感じられるのは、その文化自体が変わったのではなく、私たちの見方が変わったからです。私たちの捉え方や考え方は、社会意識や環境に影響されて変化します。だからこそ、自分の視点を意識し、相対化することが重要なのです。
小テスト2
<4>人工知能と医療
【Aさん】
人工知能が医療に関わる課題の一つとして患者の抵抗が挙げられる。もし、ある日病院へ診察に行った時、人間ではなくAIが診察から検査まで全てを行ったとするならばどう思うだろうか。少しでも抵抗があるならば、その原因は何なのだろうか。
臨床での医療と学校などの教育に重要なこととして相互理解や交流が挙げられる。一方通行ではなく医師と患者、教師と生徒が互いに交流することが必要である。学校は勉強を教えるだけの所ではない。同じように、診察し診断するだけが医療ではない。AIには出来ない複雑な感情を読み取ることや、交流を深めることで自分の状況を話しやすくすることなどが人間である医師の役割である。AIの診断が正確であっても診断材料が足らなければ診断にすら至れない。特に小児などの場合、自分の事を話すのは難しい。ましてやAI相手なら尚更であると思う。人間にしかできない事が医師の役割であると考える。
医師とAI、それぞれ役割分担しながら診察、診断していくのがこれからの医療の有り方であるが、AIに責任をとることはできない。AIがどんな判断をしても最終的に判断を下し、その責任を負うのは自分自身であることを忘れずに、1つの手段としてAIを使用するのが重要であると考える。
AIのコメント
難点
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論点のずれ: 「患者の抵抗」を中心に述べているが、医師の役割や責任についての具体的な言及が少ない。問いに対する回答として焦点がずれている。
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曖昧な表現: 「少しでも抵抗があるならば、その原因は何なのだろうか」という部分が具体性に欠ける。患者の抵抗の具体的な原因について詳細な説明がない。
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一貫性の欠如: 「学校の教育」との比較が突然出てきており、文脈から外れている印象を受ける。
説明不足
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医師の具体的な役割: AIが関わる場合の医師の具体的な役割(例:どのような場面で医師が介入すべきか、具体的な業務内容など)が不足している。
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AIの限界と医師の責任: AIの具体的な限界や、それに対する医師の責任範囲についての説明が不足している。医師がどのように最終判断を下し、責任を負うべきかの具体的なプロセスが描かれていない。
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具体例の欠如: 小児医療など具体的な場面が挙げられているが、他の診療科や状況での具体例が不足している。例えば、急性の病状や慢性疾患におけるAIの役割など。
人間/講師のコメント
AIが指摘する難点1は的確で、設問に対する「答えを論証する」ことが小論文であることを考えると、失格や却下の類の厳しい評価になり得ます。最後の段落で「答え」に流し込む「起承転結」の構成が、どのように読まれるのかをAIが教えくれた感じですね。慣れるまでは早めに「答え」を切り出した方が無難です。
説明不足の指摘1、2も「起承転結」の構成に原因があります。最後の段落を早めに切り出せば、「役割分担」の内容や必要性、そして、「責任を負う」ことが自分自身であることを具体的に説明できたと思われます。なお、小論文は字数が少ないので、説明不足の指摘3は受け止めつつも、既読スルーでOKです。
【Bさん】
私は、医師はあくまでもAIを補助的な道具として使って、今まで通り診断の確定や治療方針の決定は医師が責任をもって行うべきであると考える。
まず、治療方針の決定をするためには必ず患者自身の意思を聞く必要がある。AIは、膨大な医療情報の中から、ベストな治療方針を提示することはできるのだろう。しかし、それが必ずしも患者にとって、ベストであるかは、その人の気持ちによるところが多いと思う。例えば、抗がん剤治療をするのが合理的には一番よかったとしても、それを受け入れる人もいれば、辛い治療をするくらいなら、余命まで自分のやりたいことをして生きたいと思う人だっている。最終的に患者と話し合っていく決めるものであるから、そこに医師の介在は不可欠になる。だから、治療方針の決定においてAIは1つの治療方針を提示するための道具でしかなりえないだろう。
次に、臨床診断におけるAIは確かに人間よりも正確に、見逃すことなく診断することが可能であると思う。しかし、だからといって100%正しい診断というのは難しいだろう。画像診断または、病理診断においてAIが腫瘍のようなものを発見したとしても、それが本当に腫瘍であるかということは診断医自身が確認する必要があると考える。
これからはAIを上手く活用をする、ということが大切になると考える。
AIのコメント
難点
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曖昧な表現: 「AIを補助的な道具として使う」という表現が具体性に欠ける。どのような状況で、どのように補助するのかが明確でない。
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論理の飛躍: 「治療方針の決定においてAIは1つの治療方針を提示するための道具でしかなりえない」という結論に至るまでの論理が飛躍しており、もう少し説明が必要。
説明不足
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AIの具体的な活用方法: AIがどのように診断や治療方針の決定に役立つか、具体的なプロセスや事例についての説明が不足している。
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医師の役割の具体性: AIが関与する場合に医師が具体的にどのような責任を果たすべきか、例えばどの段階で医師が介入し、どのように最終判断を行うのかの詳細が不足している。
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患者とのコミュニケーション: 患者の意思をどのようにAIの提示する治療方針と統合するか、具体的なコミュニケーション方法についての言及が不足している。
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AIの限界: AIの限界については触れているが、具体的なリスクやそれに対する対策についての説明が不足している。例えば、AIが誤診をする可能性やその際の対処法など。
人間/講師のコメント
AIが指摘する難点1は的確です。2段落の入り方が拙かったのです。1段落は、あえて一般的な記述にした(ボケた)のですから、直ちにツッコミを入れて「補助」の内容説明をすべきでした。難点2の「論理の飛躍」も2段落で具体例を入れて「迷子(趣旨が不鮮明になること)」になり、強引にまとめたためと思われます。
説明不足1-4は指摘を次々に上げるAI特有の傾向(散漫)が見られます。これは解答も散漫で、「次に...」とか記述しているためにAIも引っ張られてしまったのかもしれません。主題「役割と責任」を考えると、コメントで特に重く受け止めるべきは指摘2
です。ここで「補助」を具体化できると、前半の難点も補正できたと思います。
<6>新しい医療を進める医師の責任
【Aさん】
医療には常に未知の部分を孕みながら、その未知の解明を続けて行く過程である「未知の応用」が含まれている。未知の領域から危険が現われて来る兆候を検知し、鋭く反応する必要がある。現代社会の重要な課題は、未知の応用によって人間の生存を脅かされないように、危機の感覚を科学者と技術者の職業倫理の基礎に据えることである。
たとえば、ウイルスは日々形を変えていくため、感染後の症状を軽くするためには新たなワクチンの接種が有効だ。しかし、ワクチンを接種したことによる効果は患者一人一人異なる。患者の中には、ワクチンの副作用かは判断できないが、体調を崩す人がいる場合もある。その時に医者は、ワクチンとその患者の症状との因果関係がないことを主張するのではなく、逆に、その症状に対して、出来る限りの医療を提供し、それを元に同じような患者をださないよう取り組む姿勢が求められる。
医療は、人の症状に対する治療の経験知の集積である以上、未知の部分がなくなることはないだろう。特に、新しい医療は、その医療を行った経験が少ないため、未知の部分が大きい。医師は、医療の中の未知の部分を認識し、そこから生じるリスクをいつも考える必要がある。新しい医療を行う際は、そのリスクが起こる可能性を下げる努力を惜しまず、患者に丁寧な説明をすることと十分に治療後の経過観察をすることが必要不可欠だ。
AIのコメント
難点:
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一貫性の欠如:文章全体の論理的な一貫性がやや欠けているため、読み手が著者の考えを追うのが難しいです。特に、第2段落のワクチンの例と医師の責任についての議論が、全体のテーマとどのように関連するかが明確でない。
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具体例の詳細不足:具体例として挙げたワクチンの例がやや抽象的で、医師の具体的な責任や行動が明確に描かれていません。
説明不足:
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責任の具体化:新しい医療を進める医師の責任についての具体的な説明が不足しています。具体的な行動や倫理的な指針がもう少し詳しく述べられると良いです。
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患者への説明と経過観察の具体例:患者に対する説明や治療後の経過観察についての具体的な方法や実践例が不足しています。これらがもう少し具体的に示されると、読者にとって理解しやすくなります。
人間/講師のコメント
AIによる難点の指摘はいずれも具体例に関わる説明を求めるものです。指摘は明確ですが、具体的な処方箋を欠くため戸惑いが残ります。ここでの具体例の趣旨は、「危機の感覚」を持つことです。ワクチンの例そのものではなく、この場面で医師の責任として必要な言動に言及すれば、趣旨が明確になるのでは?
説明不足の指摘も同じで、具体例の趣旨を説明することで改善されます。また、説明不足2の提案も趣旨の具体化を求めるものです。当たり前のことですが、危機の感覚を持つとは特定の時点だけでなく、事前・事後にも及ばせるべきで、AIはなかなか良いところを突いています。最後の段落は、単なるまとめに近い印象を受けます。これをカットして、説明の具体化にための字数を確保したいところです。
【Bさん】
著者は新しい医療を進める医師の責任について予知できない危険が現れる兆候を検知し鋭く反応することは医師の責任ではあるが危険を予知できないことは医師の責任ではないと述べている。かつて使われたことのない技術を用いる時点で何が起こるかは誰にも予想できないのだ。また著者は問題が起きた時、どの選択肢が被害を最小にするのかについて考えなければならないと述べている。それではどうすれば鋭い反応や適切な選択をすることができるのだろうか。
私は以前ピアノを習っていたのだが初めて見たリズムが分からず困ったことが何度もある。そんな時に頼っていたのが算数の比の知識だ。例えば四分音符の長さを一とすると二分音符は二、付点四分音符は一.五と表せる。これらの値を二倍することで整数比に直せるので手拍子に合わせてリズムを考えることが簡単になる。
このように全く関係のないと思われる知識が役に立つことは医療の世界でも起こりうると考える。私は鋭い反応や適切な選択のためには様々な知識が必要だと考える。知識を増やすことで様々な観点を持ち視野を広く持つことこそが新しい医療を進める医師にとっての責任であると私は思う。
AIのコメント
難点:
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一貫性の欠如:文章全体の論理的な一貫性がやや欠けており、著者の考えと具体例の関連が明確ではありません。特に、ピアノの例が医療の話題とどのように結びつくのかが分かりにくいです。
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具体例の不適切さ:ピアノのリズムの例は医療における鋭い反応や適切な選択というテーマに対して不適切です。医療に関する具体的な例を用いるべきです。
説明不足:
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医師の責任の具体化:新しい医療を進める医師の具体的な責任や行動についての説明が不足しています。具体的なシナリオや事例を通じて、医師がどのように行動すべきかを明確に述べる必要があります。
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知識の重要性の説明不足:様々な知識が役立つという主張はありますが、それがどのように医療の現場で応用されるかについての具体的な説明が不足しています。
人間/講師のコメント
難点2では「医療に関する具体例を用いるべきです」とAIは指摘します。しかし、小論文は医療知識の有無や程度をはかる試験ではないので、この指摘を重く受け止めなくても構いません。ピアノの具体例の趣旨「全く関係のないと思われる知識が役に立つ」は良いのですが、それを課題文「危機の感覚」と結びつけられなかったことが問題なのです。
この点の説明不足が具体例に対する違和感を生み、AIのネガティブなコメントを生み出したものと思われます。一般的に、対象を異なる視点で捉え直すと、それまで見えなかった課題や正解が見えてきます。常識や定説を能動的に疑い、クリティカルに「診る」ことは、医療と無関係ではありません。そのように説明・表現できなかったことが残念ですね。次がんばりましょう!
演習1
【Aさん】
共感的理解とは、他者の内面を自分の類似体験から推測し、その人の気持ちを理解することである。
私はこの文を読んで、自分も共感的理解ができたら友人関係においても良いと思った。友人に、親との関係を相談された際に、友人のためを思って出来る限りの解決策を提示した。けれど今思えば、私は、その友人が親とどのようなコミュニケーションをしていたか聞けば良かったし、共感というものを特にせずに話していた。私はその友人のその後の状況がまったく変わらなかったことを不満に思っていたが、友人が求めていたのは共感であり解決策ではなかったと思う。なので、私はもし同じような相談をされたら、今度は相手の気持ちを理解する所から始めたいと思った。しかし、ここで疑問なのが、本当に類似体験がないと共感できないのかということである。私は感情輸入移入の先に共感があると考えているので、たとえ経験がなくとも、相手の状況と似た状況にいた経験の人が書いた本やYouTube等でのトーク、さらにその人本人が語った経験に感情輸入移入して、共感することができると思う。
また、私はカウンセリングにおいて共感を重視しすぎるのは良くないと思う。なぜなら、もし私がカウンセリングに行こうと思った時、医師に求めるのは共感と現在の状態の解決または改善だからだ。この求めるものの比率は人によって違うと思うので患者によって医師が他者認知をしないといけないと思う。なぜなら医師が話す内容は患者から見て良いものでなく、医療として客観的に見て良いものでないといけないと私は思うからだ。
AIのコメント
難点:
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論理の飛躍:共感的理解の重要性を述べた後に、すぐに自身の経験に移るため、論理の連続性が弱いです。
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一貫性の欠如:共感的理解についての説明と、自分の経験の振り返りが一貫していないように感じられます。また、後半では共感の必要性を疑問視する点があり、意見が矛盾しています。
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曖昧な結論:共感的理解の有効性について最終的な結論が曖昧で、読者に明確なメッセージが伝わりにくいです。
説明不足:
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共感的理解の具体例:共感的理解をどのように実践するか具体例が少ないため、読者にその意味が十分に伝わりません。
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共感と解決策のバランス:共感と解決策のバランスについて具体的な例や詳細な説明が不足しています。
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異なる視点の検討:他者の感情に対する共感の限界についての考察が薄く、類似体験がない場合の対処法についての説明が十分ではありません。
人間/講師のコメント
AIが指摘する難点1、2は後半で「思いつき」を連ねたためと思われます。それにより字数を失い、AIが指摘する説明不足になります。
後の祭りですが、「本当に類似体験がないと共感できないのか」という疑問を早めに提示し、これを軸に展開するともっと良い論文になったと思います。そのためには、書き出す前に解答の視点になり得る「思いつき」をメモをして、最適の視点を選択するような解答準備を尽くすことが有効です。
【Bさん】
課題文における「共感的理解」とは、カウンセラーが自分自身の経験に基づいてクライエントがある事象に対して如何に感じるかを推測することでカウンセラーがクライエントに共感し、それに則ってクライエントを評価することである。
課題文中にもあるように、共感的理解に基づくカウンセリングには幾らかの障碍があるように思われる。特に医師に高度な共感が求められる点について、課題文中では「類似体験がないと共感はできない」とあるが、昨今の学問の専門家に代表されるように人の経験は限られたものになる傾向の中で、一体どれ程の医師が「高度な共感」を行うことが出来るのであろうか。
この疑問を私が持つ理由は、私の高校時代の経験にある。ある時、私の友人の言ったことには、入学試験では使わぬ国語や社会を疎かにしたとて、何等問題は無いのだそうだ。又、友人との談笑等全く時間の浪費であると喧伝していた。彼は理系であったが、難解な数式等は暗記している癖に、自国の首相も言えず、又友人とそのような会話さえしたことがないらしい。加えて外で友人と遊ぶなど経験がないとのことであった。
上記の我が友人の例は些か極端であろうが、このような人が医学部生の多くを占めているのが日本の、殊に偏差値や学歴を気にする我が国の医学部の現状ではないかと思う。そして、彼らが誰の如何なる所において「高度な共感」をし得るのだろうか。
挫折した人の心情は問題に書かれている事柄から読み取れるものではなく、同じく挫折した人にしか分からぬものであろう。医師を志す私は、常に物事を経験し学習する機会を自ら放棄することなく、種々の事象に目を向け、またそれらから学び感じ取り、そして他者と共有し共感し合えるような、所謂学際的な医師が必要であると考え、又私はそのような医師になろうと思う。
AIのコメント
難点:
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曖昧な定義:「共感的理解」の定義が課題文の指示とは若干異なり、カウンセラーがクライエントを評価することに重点が置かれている点が不適切です。共感的理解は、他者の内面や感情を理解しようとするプロセスであり、評価とは異なります。
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論理の一貫性の欠如:友人の例と共感的理解についての議論が直接関連していないため、文章全体の一貫性が欠けています。友人の話題と医師の共感能力についての関連性が明確に示されていません。
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具体性の不足:自身の経験についての具体的なエピソードが不足しており、共感的理解に対する具体的な考え方や感情が伝わりにくいです。
説明不足:
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共感的理解の具体例:共感的理解をどのように実践するかの具体例が不足しており、読者にその意味や価値が十分に伝わりません。
-
医師の共感能力についての説明:医師がどのように共感的理解を実践するべきか、またそのために必要なスキルや態度についての説明が不足しています。
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改善提案の明確さ:共感的理解の実践方法や、医師がそれを身につけるための具体的な提案が明確に示されていません。
人間/講師のコメント
AIが指摘する難点1と2は概ね的確です。ここでいう「直接関連していない」議論を展開したため、説明不足2と3は瑣末な指摘になっています。AIの混乱が読み取れるので、既読スルーとしてください。
中盤の「友人の例」がズレたのが最大の難点です。ここで前半と後半の内容が破断されました。それが補正しないまま書き進めた印象を受けます。具体例を通じて、それまでの記述のどこを、どのように補足するのか?その観点から適切な例か否かを検証しつつ選択しましょう。
【Cさん】
丹野氏がいう「共感的理解」とは、私が自己を理解し、自分の過去の経験から類似のものを見いだし、相手の内面を推測することである。
私は、共感的理解によって、カウンセラーがクライエントに自己実現傾向を取り戻させ、健康なパーソナリティを獲得させる過程において、カウンセラーへの負担が極めて大きいのではないかと感じた。
私は、他人に起こった出来事や他人の感情を客観的にではなく、主観的に捉えてしまうという習慣がある。そのため、自分には関係がないような他人の不幸な出来事でも、まるで自分に起きてしまった出来車であるかのように感情が沈んでしまう。一見、短所のように考えられるが、私は長所だと考えている。他人の不幸や悩みを自分のことのように捉え、より身近な立場でその人に寄りそうことができるからだ。私はこの長所を活かして、思いやりを大事にしてきた。しかし、相手の相談に乗ると、自分も相手と同じ経験をした感覚になり、心が疲れてしまう。
丹野氏の講義にある、「共感的理解」は、相手の内面を推測する点において、私の経験と
よく似ているのではないかと感じた。このようなことから、カウンセラーはカウンセリングにおいて、クライエントの内面を推測し、その人の感情を認識することで、相手に寄りそうことができるが、その分、カウンセラー自身が相手の悩みを吸収してしまい、負担がかかってしまっているのではないかと感じた。
だから、カウンセラーが高度な共感をもって、クライエントをカウンセリングすることは大事だが、カウンセラーに対する共感的理解も重要視するべきだと考えた。
AIのコメント
難点:
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定義の不明確さ:「共感的理解」の定義が曖昧で、具体的に何を指すのかが明確に伝わっていません。丹野氏の言う「共感的理解」として説明していますが、それがどういうものかが不明確です。
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論理の飛躍:自分の経験からカウンセラーの負担について述べていますが、その結論に至る論理のつながりが弱く、一貫性に欠けます。
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曖昧な表現:文章全体にわたって曖昧な表現が多く、具体的な事例や説明が不足しています。「丹野氏の講義にある」と述べている部分も、具体的な内容が欠けています。
説明不足:
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共感的理解の具体例:共感的理解がどのように実践されるのか、具体的な事例や説明が不足しています。共感的理解の実際のプロセスや、その結果生じる効果について具体的に述べる必要があります。
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カウンセラーの負担についての詳細:カウンセラーの負担がどのように生じるのか、その具体的な状況や例が不足しています。自分の経験とカウンセラーの状況を関連付ける説明が必要です。
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対策や提案の具体性:カウンセラーの負担を軽減するための具体的な対策や提案が不足しています。カウンセラーに対する共感的理解の重要性については述べていますが、具体的にどうすれば良いのかが明確ではありません。
人間/講師のコメント
AIのコメントに「カウンセラーの負担」が散見されるのは、答案の視点が明確で一貫している証拠です。そこはポジティブに受け止めてください。ただ、難点2と3が象徴するように、そこから展開する先が不鮮明です。
負担が大きいから「共感的理解」を諦めるわけではありませんよね。にもかかわらず「共感的理解」に努めようとすることに、医師の志望理由との接点があるかもしれません。自身の気づきを大切にし、「そのこころは?」とオチを考えていくと先が開けると思います。その意味で、もっと深めてください。
小テスト1
<2>これからの地域医療
Aさんの答案
そもそも地域医療とは、地域に根づき1人1人の医療への向き合い方の軌道修正ができる、ケアを重視した医療だと考える。
今まで、医療と言えばキュアがメインであった。ある程度マニュアル化され、医師の側が患者に合わせ、より添うことは少なかった。しかし、生活習慣病や精神病は、一人一人原因が違う。医療の形に正解が存在しなくなったのだ。私は、これからの地域医療では、患者と医師の信頼関係を築いていくことが大切であると考える。信頼関係を築くことで、患者が望む医療を医師に伝えやすくなり、医師からの一方通行な医療ではなくなる。これは患者が病気と共に生きることの援助になる。
今述べたような信頼関係を築くために、患者との対話を重視すべきであると考える。地域医療において、患者がどのような人生を歩みたいか知ることはその後行う医療を決めるにあたって重要な要素になる。具体的には、診察が休みの日に患者と雑談をしたり、看護師と連携して患者の意向を知ることもできるだろう。常に患者の人生のパートナーとなるように、不断の努力が地域医療には求められると思う。まとめると、信頼関係ができた医療がこれからの地域医療のあり方であると考える。
AIのコメント:ChatGP
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地域医療の具体的な定義や特徴の説明不足:地域医療の概念が導入されていますが、それが具体的にどのような医療体制やアプローチを指すのか、詳細な説明が必要です。また、地域医療がどのように「ケアを重視した医療」を提供するのか、具体的な例やアプローチについても言及すると良いでしょう。
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信頼関係の構築に対する具体的なアプローチの説明不足:信頼関係の重要性が強調されていますが、その具体的な構築方法や医療現場での実践についての詳細な説明が欠けています。患者と医師の対話や連携の具体的な方法、成功事例などを挙げることで、読者により具体的なイメージを提供できます。
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地域医療の課題や制約についての考慮不足:地域医療の実践には様々な課題や制約が存在しますが、それらについての言及がありません。たとえば、医師の人材不足や地域ごとの医療資源の格差などが考慮されるべきです。
人間/講師のコメント:for AI
概ね的確な指摘で、答案の振り返りに役立つコメントです。答案の表現・内容が平易で読みやすいからかもしれません。ただ、指摘のすべてに応えようとすると破綻します。小論文には字数の制約があるからです。一般的にAIは判断(情報の取捨選択)が苦手です。指摘を受け止めた上で、そのどこを、どのように掘り下げるのかは、解答する人間に委ねられているのです。
人間/講師のコメント:for you
冒頭にあげた「軌道修正」という言葉の意味が大切なのですが、そこを深めないまま、よくある「ケア」につなげてしまったのが残念です。その後の「マニュアル」「信頼関係」「対話」などのキーワードにも紐づけることができる言葉ゆえに、「軌道修正」という言葉に込めたイメージを整理し、明示したいところです。それが独自性や読み応えの芽になると思います。
Bさんの答案
本文において、今日の日本では生活習慣病や社会的不適合が主な死因として台頭していると述べられている。そこで筆者は医療が「援助サービス」であるべきだと述べているが、私も、疾病についてよく知る医療者が中心となり、地域全体で患者をサポートする体制を整えるべきだと考える。
まず、生活習慣病は患者自身の努力が改善のためには欠かせない。とは言え何事も一人で継続することは難しい。例えば、糖尿病患者が不慣れな食事制限や運動を長期間、一人で実施し続けるのは大変だろう。しかし、家族が調理を一工夫して食事制限を手伝ってくれたり、同様に病に悩む仲間と毎日声をかけ合って運動をできれば、長続きすると考える。その為に、医療機関としては栄養士等とも協力して具体的な食生活を提案したり、患者どうしの集う機会を多く提供したい。
また、高齢社会である日本では、認知症患者の増加も深刻化している。患者が行方不明になってしまうケースも増えている。私は、これを防ぐためにも地域医療が必要だと考える。認知症について知見が浅い限りは、徘徊していても気にかけにくい。だからこそ医療者がまず、地域住民に対して情報を発信し、それをきっかけに認知症患者の家族が周囲に協力を求めやすく患者を地域全体でサポートし、患者も家族も安心して過ごせる環境をつくっていきたい。
AIのコメント:ChatGP
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生活習慣病に対する具体的な支援策の不足:生活習慣病に関して、家族や仲間の支援が重要であると指摘されていますが、具体的な支援策や取り組みについての説明が不足しています。栄養士との連携や患者のグループ活動など、具体的な支援体制について詳しく述べると良いでしょう。
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認知症患者への支援策の具体化:認知症患者に対する地域医療の必要性が指摘されていますが、具体的な支援策や取り組みについての詳細な説明が欠けています。たとえば、地域ネットワークの構築や警察との連携など、具体的な支援体制について言及すると良いでしょう。
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地域医療の課題や制約に対する考慮:地域医療の実践にはさまざまな課題や制約が存在しますが、それらについての言及がありません。たとえば、医療資源の不足や地域社会の連携不足などが挙げられます。
人間/講師のコメント:for AI
AIは所与の前提に影響されやすいのかもしれません。ここでいう所与とは答案ですが、「生活習慣病」と「認知症」を中心に論述を展開しています。こうしたfactにこだわり、「これからの地域医療のあり方」という本題から離れてしまった答案と、AIは軌を一にしています。factへの傾斜の誤りを指摘し、3の指摘を中心に軌道修正すべきことをコメントしたいなあ😅
人間/講師のコメント:for you
具体的は手段であって目的ではありません。「生活習慣病」と「認知症」という例よりも、「地域全体で患者をサポートする」ことの意義や課題を明示し、その説明の中で具体例を適宜言及すべきでした。こうしたopinionの分量を増やすために、「生活習慣病」または「認知症」のいずれかを深める「選択と集中」で論述を展開したいところです。
<3>日本が目指すべき医療制度
Aさんの答案
日本の医療制度の未来像として、個人の自由と市場の効率性を重視するものと万人の平等を重視し、医療を提供するという選択肢がある。現在の日本は後者を採用している。
私は今後も国民皆保険制度を採用すべきだと考える。その理由として、病気の発症は予期しないものであることや、病気の発症に社会的要因、遺伝的要因など個人では解決できない事例も多く存在するからだ。感染病や遺伝性の癌、うつ病などがこれらにあてはまる例である。
しかし、国民皆保険制度を存続させるにあたり、解決すべき課題がある。それは年々増大し続けている莫大な国民医療費だ。当然高齢になるにつれて病気を発症するリスクは上昇していく。日本は超高齢社会となっているため、医療費が増大し続けているのだ。
この問題を解決するにあたって有効であると思われるのは予防医療である。これは病気にかからないよう、日頃から食生活を改善したり、適度な運動をしたりするだけでなく、病気を早期に発見するために検診を受けたりすることを示す。このようにすることで、高齢者に多い生活習慣病患者や様々な病気の重篤患者の減少による医療費軽減が期待できるだろう。
加えて、社会的不適合によるうつ病などの精神疾患予防として、多様性を認める社会作りも、一つの予防医療の形であると考える。国民皆保険だけでなく、皆が病気にかからないような制度作り、社会作りをしていくべきである。
AIのコメント:ChatGP
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医療費増大の背景の詳細な説明不足:医療費の増大が問題とされていますが、その具体的な要因や数値的な詳細が欠けています。高齢者の増加だけでなく、医療技術の進歩や慢性疾患の増加など、他の要因も考慮すべきです。
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予防医療の具体的な実施計画の不足:予防医療の重要性が指摘されていますが、具体的な実施計画や取り組みについての説明が不足しています。どのようなプログラムや政策が必要か、それらを実現するための具体的なステップが必要です。
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精神疾患の予防に関する詳細な説明不足:精神疾患の予防については多様性を認める社会作りが重要であると述べられていますが、これが具体的にどのように実現されるか、詳細な説明が必要です。具体的な政策や支援プログラムについても言及すると良いでしょう。
人間/講師のコメント:for AI
「他の要因」に言及した1の指摘は大切です。多くの物事には複雑な構造や多様な要因があります。「医療費の増大」も同じであることに気づかせてくれます。特に「慢性疾患の増加」は<2>の出題にも対応している点で注目しましょう。気になるのは3の指摘です。そもそも答案の「加えて」以降は付け足し的な内容です。既読スルーとするか、前の段落の記述・説明の掘り下げを求めるべきでした。
人間/講師のコメント:for you
判断→理由→課題→提案(課題解決)という全体の論理はしっかりしています。また、提案を予防医療に絞り込むことで、内容説明を掘り下げる余地(字数)を得たのが奏功しました。AIが指摘するように掘り下げ不足はありますが、受験生の小論文であることを考えると概ね良しとすべきでしょう。「加えて」以降の記述を削って、不足を補完すべきでした。
Bさんの答案
将来、私たちはまったく異なるニつの未来像の選択を迫られることになる。1つは、富裕層と貧困層の格差が大きい社会である。もう一方は、その差が小さい社会である。
私は医療において、医療を受けることは個々人の基本的人権に属し、社会がそれを支えていく必要があるという考えのもと、富裕層と貧困層の間で受けられる医療の差が小さい社会を目指すべきだと考える。なぜなら、憲法にもあるように、人は健康で文化的な最低限度の生活を送る権利があるからだ。人は生まれながらにして家庭の環境や経済的な面などにおいて不平等である。医療は個人が受けるサービスに過ぎず、自己責任に委ねるのが適切という考え方もあるが、適切な医療を受けられない状況を必ずしも自己責任と言い切ることができないのが実情である。よって、万人が適切な医療を受けられるような医療制度を構築すべきだ。
しかしながら、このような医療制度を推し進めるに当たって課題がある。その中の1つが、高齢化社会の進行に伴い勤労世代の金銭的な負担が増えることだ。この課題に対して、決定的な打開策を挙げるのは難しいが、AIの導入による人件費の削減や、政府の税収を増やし、医療制度を整えることに当てるのも一助になるだろう。
AIのコメント:ChatGP
-
医療制度の実現可能性についての説明不足:適切な医療をすべての人々に提供するという目標は理想的ですが、その実現方法や財源についての詳細な説明が不足しています。AIの導入や政府の税収増加は提案されていますが、これらが具体的にどのように医療制度の整備に役立つのか、詳細な計画や実施可能性についての説明が必要です。
-
財政的な側面の考慮不足:高齢化社会における財政的負担増加は指摘されていますが、その背景や具体的な数値についての説明が不足しています。また、AIの導入による人件費削減が提案されていますが、これがどれだけの財政的効果をもたらすのか、詳細な分析が必要です。
-
医療制度の改善に向けた具体的な施策の欠如:AIの導入や税収増加は一助となるかもしれませんが、その他の医療制度改革に向けた具体的な施策や取り組みについての言及がありません。たとえば、予防医療の推進や効率的な医療資源の配分についても考慮すべきです。
人間/講師のコメント:for AI
やや偏りがあるコメントです。2段落の記述を「理想的」と切り捨てたからか、3段落の記述の具体性・実現可能性を中心に記述しています。指摘の趣旨は概ね的確ですが、これらを展開するための知識や経験が不十分な受験生への配慮を欠いています。それが「知識があれば書ける」という方向で学びをミスリードすることを懸念します。
人間/講師のコメント:for you
目指すべき社会は明確で、その趣旨を2段落で説明しています。ただ、医療における格差や「不平等」をなくしたいという思いが繰り返されるだけで、説明の掘り下げが不十分です。AIが「理想的」と切り捨てたのは、そのためかもしれません。あなたの「理想」には医療や社会のあるべき姿があるはずで、それらを引き出し、深めることも、記述の具体性を高めることになります。
Cさんの答案(データ提出)
国民に対して医療を提供する仕組み二種類に分類できる。ひとつめは保険料を殆ど取らない代わりに、医療サービスを受ける際の補助金も殆ど出ないようなシステムだ。これは米国を始めとした新自由主義の国に見られるシステムである。ふたつめは国民全員から保険料を徴収し、医療サービスを受ける際に手厚く補助金を出すシステムだ。これは北欧を中心とした社会保障に注力している国で見られるシステムである。
現在日本は国民皆保険制度を採用しており、北欧に近い形になっている。私は今の日本の医療制度がこのまま維持されるべきだと思っている。たしかに米国のようなシステムは若者を始めとした病気になりにくい人の負担が減るという利点が存在する。しかし、日本では病気になりやすい高齢者のほとんどが年金生活をしており、保険がない状態で十分な医療を受けられるとは言い難い状況である。だからこそ日本は北欧型のシステムを続けるべきだと思う。
その一方で、現在の日本の医療制度が抱える問題点も存在する。医療技術が進化するのとともに国民医療費も増大している。そのため、いずれは徴収した保険料と支払われる補助金の収支が合わなくなる。そのために保険料にも累進課税のような納付額の変更制度を導入することを提案したい。現代の日本人の収入は一部の富裕層が大部分の資産を所持するという、高度経済成長期に掲げられた一億総中流とはかけ離れた形になっているため、今一度時勢にあった制度に変えるべきである。
AIのコメント:ChatGP
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医療制度の種類の詳細説明:文中で述べられている「米国型」および「北欧型」の医療制度について、もう少し具体的な説明が必要です。どのような特徴がそれぞれにあるのか、具体例や統計データを挙げることで、読者がより理解しやすくなります。
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現行制度の利点の強調:現行の国民皆保険制度については肯定的な視点が述べられていますが、それがなぜ良い制度なのか、具体的な利点や成功事例が欠けています。制度の優れた側面をもう少し詳しく説明することで、読者に納得感を与えることができます。
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問題点の詳細な説明と提案の具体性:医療費増大の問題点が指摘されていますが、その背景や具体的な数字が欠如しています。また、累進課税の提案がありますが、それがどのように問題解決に貢献するのか、具体的なメカニズムや効果についての説明が不足しています。提案がどのように実現可能か、具体的な施策や実施手順についても追加されると良いでしょう。
人間/講師のコメント:for AI
1のようにfactにこだわると、opinionを求める本題から外れてしまいます。このコメントは無視してください。維持すべき理由として、2の「利点の強調」は良い指摘です。提案の説明を掘り下げるための助言は的確です。ただ、以下で指摘したように、提案そのもの妥当性をAIはコメントしていません。これらの点で、コメントをクリティカルに読んでください。
人間/講師のコメント:for you
課題文の内容を説明した1段落は不要です。単刀直入に本題に入りましよう。「たしかに...しかし...」という2段落の論理はわかります。ただ、しかし...以降が維持すべき理由の中心なので、ここを中心に記述を掘り下げてください。3段落の提案ですが、保険料の応能負担という現実を見逃している印象があります。これを機に、保険制度の基本を学び直してみましょう。